anatofuzのなんかそういう感じ

インターネットアイドルの日常だと思って書いてます

今日は歯医者に歯石の除去に行っていた。先週行ったときは次回は掃除みたいなざっくりとした会話だったけれど、多分歯石除去だったと思う。 歯石除去は一時期YouTubeの動画を見るのにハマっていて、あの術式を自分がやられていたと思うとちょっとおもしろい。 流石に動画で見たほど歯石は溜まっていなかったと思う。


www.youtube.com

歯並びが悪いので一部の歯が磨けてなかったりとか、歯茎が腫れているので、ゆっくり根本を磨いてほしいという歯磨きの指導も受けた。 ついでに毛先が細いタイプの歯ブラシももらってきた。合わせて千円だったのでやすかったと思う。歯ブラシは歯医者で買うのが良さそう。

歯石除去終わるときれいでいいんだけど、やってる最中は舌の位置に困ったり、チクチク痛みが激しい。 死にそうになりながら30分くらい掃除してもらっていた。 沖縄のときは全然不快感がなかった上に処理が早かったので、もしかすると沖縄で通っていた歯医者のほうが腕が良いのかもしれない。 歯医者の待ち時間も沖縄のほうが短かった。。。。

それはそれとしてまだ若干胸が痛いのが継続している。さっさと治ってほしい....。

別にそんな歯医者をサボっていたわけじゃ無いけど、左奥歯の虫歯が結構進行していて、ついに銀歯が装着された。 銀歯なんか祖母が銀歯というより金歯をつけていて、それがかなり記憶に残っていたのでできれば避けたかったのだけど、まぁなってしまったからにはしょうがない。 まだ装着したてなので、神経に結構刺激があるのでズキズキ痛い。 3日くらい経てば治るらしいのでしばらくは辛抱という感じ。幸い次の歯医者は明後日なので、変に痛かったらすぐみてもらえそう。

引越しした後とか生活に変化があるときだと結構虫歯になりやすい気がする。精神的なものかもしれない。

胸がいたくなった(物理)

恋をしているわけでもないけど、GW3日目くらいから胸が締め付けられる感じがあった。 新生活な春なので恋かもしれないが、多分恋ではないし、精神的な物だったらGW中に発症しない気がする。

痛くなるのはそれ以前にもあったけど、3日前くらいからは朝起きてから常に痛い。 こうなってくると恋だった場合は四六時中あなたのことを考えている!!!!レベルの恋なのだけれど、今現在それは仕事のソースコードとかなのでおそらく恋ではない。 とすると身体的に何か異常が発生している気がする。

とりあえず雑に症状の「胸 締め付けられる痛み」とかでググるとだいたい狭心症心筋梗塞をサジェストしてくる。 19歳で胆石症になったので24で心筋梗塞もまぁわからなくもないのだけど多分違いそう。 とはいえググる心筋梗塞しかサジェストされない世界線だと心理的に不安になる。

Twitterで悩んでいると#7119の存在を教えてもらった。

www.fdma.go.jp

#7119に電話をしたところ、まぁ緊急性はなさそうなので、後日自分で通院してみようという話になった。 何科に行けばいいのかわからなかったのだけど、とりあえず内科でいいらしい。

また引越ししたばかりなので、そもそもどこにどんな病院があるかわからなかったので探し方を教えてもらった。 #7119の方によると、京都府の場合は「よろずネット」を使うのがいいとのことだった。

www.mfis.pref.kyoto.lg.jp

よろずネットはアクセスしたタイミングで空いている病院を検索してくれるサービスになっている。 リアルタイム検索しか出来なくて、任意の時間で検索ができないのがネックだけれど、今からいくぞ!!!という時は一度ここで検索をすると確実性が上がるので安心。 ちなみによろずネットは京都府が運営しているらしい。

www.pref.kyoto.jp

発症したのがGW中だったので、祝日にやっているとこは急患とかそういう感じのとこだけだった。 コロナのご時世に急患に行くと怒られそうなので、土曜日に行こうと思っていたのだけれど、たまたま今日退勤したタイミングでよろずネットにアクセスしたところ、定時後でも間に合う病院がヒットした。

というわけでチャリで内科に行って診察を受けてきた。 血圧と酸素濃度とか、心電図の検査をした。心電図は最後にやったのが中学か、胆石でやられた時な気がする。 結果は特に異常はなかったのだけれど、脈が早いらしかった。あと心臓の収縮が遅いらしい。 脈が早いのは短期間で太ると体にダメージがきてそうなってしまうらしい。思えば2月から5月くらいでけっこう太ったので確実にそのせいだと思う。あとは胃液が逆流している可能性があるとかそういう感じだった。

というわけで漢方とそれっぽい狭心症関係の薬を詳報されて終わりとなった。2週間分薬があるので飲み切る感じでやっていく。

ちなみに明日は歯医者なので全身にダメージを負っている。助けてくれ。

炊飯器

大学時代は入学当初に購入したハイアールのマイコン炊飯器を利用していた。

6年間使っていたので物持ちは良かったのだけれど、ラスト2年くらいは釜の塗装が剥げており、なかなか見た目が悲惨な感じになっていた。 さらにマイコン炊飯器としては珍しいおこげ機能がラスト2年で唐突に登場し、釜の底の部分の米が茶色く焦げるという状況になっていた。 流石にハイアールの人もおこげ機能までは入れてなかったと思っていて、今後使うと何か炎上したりする可能性があると思い引越し時に処分した。

引っ越して今使っているのは象印の3合炊きの炊飯器。 UIはシンプルでボタン一発で炊飯してくれるので、ハイアールの時と同じく使い勝手はいい。 心なしかハイアールで米たいてた時より美味しい気がする。 今のところ標準の炊く機能しか使っていないけど、パンとか焼けるらしいのでそのうち試してみたい。

左の上の奥歯が痛くなったので、引っ越してきて初めて歯医者に行った。 家の周辺にあるそこそこいい感じの外観の歯医者に行って見た。

歯医者は山梨と沖縄でそれぞれ1病院だけ行ったみたいな生活だったので、僕の中の歯医者のイメージは大体そのあたりに基づいている。 歯医者といえばBGMで常にオルゴールが流れているイメージだったのだけど、今日行った歯医者は普通に洋楽が流れててオシャレだった。

12:30に予約が取れたので行ったところ、混んでいたらしく結局僕が呼ばれたのは13:20くらいだった。 初診なのでレントゲンを取ったのだけど、続いて初めて歯医者で歯の写真を撮られるという体験をした。 歯の写真を撮るときは、自分で口につけられた機器を左右の伸ばす必要があり、若干のSMプレイみを感じた。

虫歯自体は神経の直前くらいまできてたらしく、麻酔して直してもらった。 詰め物が仮なので2週間後また受診する感じ。一発目の歯医者で麻酔なのはびっくりだっだけど、まぁ痛くなかったから良かった気がする。

同じツールを使っていても文化が違うと使い方が異なってくるのでキャッチアップというか頭の切り替えが大変だなと感じる。 個人的なとこだとバージョン管理ツールがhgからgitになって、ブランチを使ったりとかrebaseを使うようになったり、ブランチに紐づいてビルドフローが制御されていたりすると(まぁ当たり前といえばそう)今までとやり方が違うので、同じツールなのに使いこなせないみたいなのがある。

特にslackとかのコミュニケーションツールは大変だと感じてる。通知のガイドラインとかがあった環境とか、通知を一切飛ばさない環境などを得てきたので、メンションとかに関する考え方を掴むまでが大変な感じがする。まぁ慣れと言われればそうなんだと思う。

高校時代の思い出

入社したので色々振り返ってみる。

山梨県出身なので高校は山梨の高校に通っていた。 山梨は2007以前は総合選抜制度だったので、高校は移住地と成績によって大幅決定される。 中心地甲府の高校はそこそこ成績がいい人間でしか、甲府外の住居がある人間は進学できないみたいな状態だった。

僕が高校を受験したときはすでに総合選抜制度が撤廃されていたが、依然として甲府の高校は人気が高かった。 中学時代はクラスがなかなか崩壊していたり、厨二病を発症していたこともあり、そこまで高い成績ではなかったので、甲府の高校の中では一番入りやすい高校に進学した。 オープンスクールでの印象が良かったと言うのもある。 工業高校の電子科でも良かったのだけど、大学にいくなら普通科にいっておけみたいな感じだった気がする。

入った高校は1年目は文理別れていなくて、2年目から文理が別れるみたいな感じ。 文系理系それぞれぞれに特進クラスみたいなのがあり、1年目は文理別れていないので特進クラスが2つあるみたいな感じだった。 入学してわかったのだけど出身高校は普通科なのに専門学校と私立の指定校進学がだいたいを占めており、高校の売り的な国立大進学はこの特進クラスからしか無いみたいなのが教師の共通見解だった気がする。

高校入学するときに中学の数学と英語の復習のテキストと、「大学進学を希望しますか?」みたいな雑なアンケートがあり、「はい」にまるをつけたところ特進クラスである5組に入学することになった。

入学したクラスの担任は数学の教員で、バスケットボールに人生を賭けているようなスポーツタイプだった。 教員になって初年で僕の母校に配属され、僕が入学する一年前まで別の高校で働いていたらしい。 口癖は「昔より丸くなった」「W大学出身です」「子供ができて丸くなった」のだけど、1週間に1度は黒板と机を蹴ったり、4Fから飛び降りろと言われたりするなど、全然丸くなってない印象だった。人間として合わなかった感じがある。その先生は吉村知事に顔が似ているので、今ニュースをみると不必要なトラウマが蘇ってくる。W大学の人と会うと若干トラウマがでるのも悲しい状態になってる。

高校では曜日によって8:30から小テストを毎週される。確か火曜日が英単語で木曜日が古典、金曜日が数学。 テストには合格点があり、特進クラスは合格点が他のクラスより高い。 内容はほぼ暗記で、一週間でやってきた課題の内容を出される感じ。 僕自身は登下校で疲れていたり、もともと暗記に関しては要領がよく無いのでそんなに点数が取れないので、毎週補講に出ていた。 テストが悪いとめちゃくちゃ怒られるし、補講にでてもめちゃくちゃ怒られるので、基本的に何やってもめちゃくちゃ怒られるみたいな感じだった。

個人的にはそういうのもあって、2年目からは一般クラスになりたかったのだけど、意図的に3年間特進クラスになってしまった。 これは1年生の頃から結局3年間同じだった担任が、教育的配慮とか、リベンジを期待するとかいう謎のスポコン根性で3年間同じクラスに意図的にしたらしい。 なんでこんなことを知ってるかと言うと、2年生のときにどなられながら「そうやってクラスに配属したから意味を考えろ」と言われたからである。正直どう考えろと言うのか今でもわからない。 教員からのよくわからない怒鳴られは、なんか勉強合宿みたいなイベントで「眠いな...」と思いながら問題を解いていたところ、別の数学教師になぜか全員が「態度が悪い」「そもそも勉強合宿があって悔しく無いのか」「そこで怒られて何糞と思って這い上がってくるんだよ!!」とか説教されたけど「人によるのでは…」みたいに思った思い出がある。 まぁ担任とは壊滅的に合わなくて、「お前は一生成功しない」とか「働き蟻の法則の怠ける2割の方」とか色々言われたことがある。 特に辛かったのは高1の学園祭の新聞の出し物の係になったのだけど、記事担当のクラスメイトが書いてくれなくて、「間に合わなくてどうしようか」と思い担任に謝ったところ「お前が編集長だからはやくしろ」「なんで遅れたんだ」と言われたので、理由を説明したところ「言い訳するな!!!」とめちゃくちゃに怒られた思い出である。理由聞かれたのに。。。。。当時は偉くて、ちゃんと「じゃあなんて言えばよかったんですか」と聞いたら「そう言うときはただ謝り続けろ」と言われた覚えがある。他には下着の色が赤色だからという理由で首を掴まれていたりとか、そういう感じの担任の元だった。

さらにクラスも3年間ほぼ変わらなかったのだけど、常に成績が悪い足手まといみたいなロールだったので、クラスメイトとも仲良くできなかった。 クリスマスとかバレンタインデーのときはクラスメイトでお菓子を交換しよう!!みたいなイベントが僕抜きで行われていて、僕はなんか参加する居場所がなかったのでピロティに逃げ出していた気がする。 学園祭は強制的にクラスの一致団結!!!みたいになって、俺たち5組最高!!!みたいになるのが耐えられなくて、学園祭終わりの学級会に参加しなくても済む閉会式係に3年間なっていた。閉会式係は便利で、閉会式で点数が発表されて盛り上がってるクラスの輪に入らなくても済むのである。 仲良くしていたクラスメイトもいるけれど、まぁそういう精神状態だと、憐れみで仲良くしてもらってるのでは?みたいな気持ちになり辛かった。 卒業してからは、唐突にクラスLINEに僕と他の暗いメンバー以外と、担任が集結しているクラス会の写真が貼られてからLINEグループを抜けてからはほとんど関わりがない。以前Twitterで同級生のアカウント発見してしまったので見ないようにはしている。

良かったのは部活とバイク通学である。 部活は弓道部で、まぁ大多数とはあまり話さなくなってしまったのだけど、あそこは人間としてちゃんとやっていける場所だった。 部活で仲良かった2人の友達とは、まだ定期的にLINEで喋ったり、コロナ以前は飲みに行ったりしていた。 バイク通学は家と高校が遠かったので原付で登校していた。 一人で20分くらいバイクに乗るのは自分の中で重要な時間だったと思う。

そんなこともあり3年生では進路を決めることになる。 本当は文転しようと思っていたけど、言い出せず、まぁ情報系に移行としていた。 情報系にいければなんでもいいと思っていたから、担任がクラスの朝の会で言っていた「指定校推薦が気になる人は放課後きて」で、職員室に行ったことがある。 このときはなぜか職員室で待たされて、他のクラスメイトがにこやかに担任と指定推薦のリストを見て話した後に、担任が部屋から退出してなぜか一人でリストを見せられた。 リストを見て東京電機とか、いきたい大学をピックアップしていたあとに担任がやってきて「大学決まった?」と言われたので正直に大学名を伝えたところ、机を叩きながら「お前はクラスメイトに申し訳ないと思わないのか!!!??」と怒られた。どうも国立を受験せずに指定校推薦で行くのはクラスメイトに申し訳ないらしい。人生は難しい。

そこまでキレられるともう国公立にいくしかなくなり、さまざまなことがあり琉大を受験するというのを担任に報告したところ、今までの振る舞いがなんだったかのように優しくなった。というか普通の対応になった気がする。 あの瞬間に僕はただの国公立受験者と合格者の+1の数値でしか見られてなかったのだな...とショックだった。

高校時代めちゃくちゃ頭痛がひどかったのだけど、卒業してから行った頭痛クリニックで「鬱ですね」と言われたので、3年間鬱だったらしい。まぁよく通学したと思う。

担任には「教育者というより研究者だから何も教育してくれない」と言われた大学に進学して、高校時代より色々学んだ気がする。 まぁ別の楽しくもない高校時代だったのだけど、あの時の人間的にこう認められない3年間よりははるかにいい生活をしていて「まぁなんとかなるだろう」みたいな気持ちになっている。 あの頃に戻りたいとは思わないけれど、あのときどうしていいかわからなかった自分と会うことがあれば、まぁなんとかなるという感じを伝えてあげたい気がする。