anatofuzのなんかそういう感じ

インターネットアイドルの日常だと思って書いてます

劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト見た

ロロロとレヴュースタァライトを見ました。 感想を簡潔に言うと最高に良かったですね。メッセージ性が近いのもあって視聴後の気持ちはポンポさんとシンエヴァ見に行った後に近い。

舞台少女は一度舞台に上がってしまったら、舞台の上で演じ続けなければならない。 SHOW MUST GO ONはその通りで、目の前に序盤「死んでしまった」舞台少女たちは、目の前の聖翔祭があるにも関わらず舞台に目を向けていなかったために死んでしまっていたと表現されたのだと思う。 実際あのとき死んでいなかったのは、裏方として塔の作成に協力していたななと、すぐに台本に目を通して稽古をしていた真矢だけだった。

しかし華恋を除く彼女らは、 列車の上で死んだ後に、次に列車に乗ることはなく、様々な場所でそれぞれのレヴューをすることになる。 そこでのレヴューはアニメ本編やロロロのような、スタァの座を書けたオーディションではなく、「自分の舞台、自分のポジションゼロを見つけるためのレヴュー」に変化している。舞台は一人では作れないし、レヴューも一人では出来ない。舞台少女たちは他者と剣を交えながら、対話をしながらポジションゼロを見つけていく。この描写が実に良かった。舞台であることを最大限活かした見たと、レヴューだからこその真剣な言葉――舞台に上がったからには感情を見せつけるような演技をしなければならない。という、レヴュースタァライトの作品としての強いポイントと、舞台少女たちの卒業・成長が見事にアッていて、ワイルドスクリーンバロックはどれも熱狂し感動するものだった。

終盤、華恋が急に劇場で見ている観客のことを意識するシーンが有る。 舞台は観客が求めるなら作られる、つまり今の華恋たちの行動は我々が望んだから作られた戯曲に過ぎない。 しかし彼女らがときに観客なり、ときに演者となる光景をレヴュースタァライトの進行とともに見ていた我々からすると、我々も演者になること、つまり自分だけの舞台に立てるのではないか。

そういえば久々に同じ映画の感想を語り合うなどしたけど、レヴューの舞台装置が唐突すぎるみたいな話が上がっていた。この辺違和感なかったのは主にプリティーリズムシリーズのおかげだと思う。

雑多な感想

  • トマトがキーアイテムになるの叛逆の物語もそうだったような
    • 確かトマトは禁断の果実。舞台少女は舞台という禁断の果実を食べてしまった少女。舞台から降りるのは死
  • まひるちゃん本編より成長していて泣きそうになった
  • 香子と双葉の関係性が良すぎる....尊い...
  • キリンはレヴュースタァライトの作品としてのメタ部分(シナリオや声優や作画があっても、作品内で息をするのはキャラクターなので、キャラクターに鑑賞するために自身もキャラクターになった製作者とファンの思念)みたいなのではという気がしていた
  • ロロロもそうだったけどアタシ再生産のキャッチフレーズが良いところで使われていい
  • パンフほしい
  • わかります....